2011年7月6日水曜日

SwingMASA講演録(3)                            <アラノン・カウンセリング・DVからの脱出>

そのちょっと前くらいからアラノンのミーティングに通い始めていました。

アラノンというのはアルコール依存症の人と付き合う家族の会。アルコール依存症の人の子どもとか、アルコール依存症の人の妻とかあるいは家族の一人がアルコール依存症とか、そういう人たちが通ってるグループです。
そこのミーティングに通い始めていたのですが、基本、言語が英語なので片言英語で参加していました。英語で自分の状況を説明するのは大変でしたが、全部は分からなくても、いろんな人の話、自分と同じ状況を抱えてる人の話を聞くのは気が楽になることでした。もちろん勉強にもなりました。

ある日、そのミーティングのファシリテーターというか、リーダーみたいな女性が、日本語と英語のバイリンガルのカウンセラーがいるんだけど、その人のカウンセリングを受けてみないかとアドバイスをしてくれました。
日本語で自分の今のしんどさを聞いてもらえたり、相談できるんやったら、そっちの方がずっと楽やなあと思い、日米カウンセリングセンターのコンドウ先生という方のカウンセリングを受け始めました。それからずっと10年以上、その先生のカウンセリングを受けることになります。

その先生のカウンセリングを受けているときに、いわゆるドメスティックバイオレンスを受けて、外に出られないように部屋に閉じ込められたことがありました。それで、中から先生に電話をかけました。とにかく身の回りの物は全部捨てて、自分の身とサックスぐらいでええから逃げた方がいいと、ちょっとの隙を見つけてでもその場所から脱出した方がいいと言われました。「なんやったら、警察呼びましょか」みたいに言われましたが、そのときの私には、警察に暴力を振るう相手を捕まえてもらうという発想がありませんでした。それまで反権力の運動をしてたので、警察に電話をかけるというのは、相手を警察に売り渡すみたいなイメージで、それだけはしたくないという気持ちがありました。

もっと捕まえられやなあかん人を先に捕まえられたらいいし、「そんなアルコール依存症みたいな、社会の弱者のような人を権力に売り渡すのはいやや」みたいな、変な価値観があって「それだけは困ります」と、先生のアドバイスを拒否したりしていました。そうしてるうちに相手のちょっとした隙を見つけたのが脱出のきっかけとなりました。着替えも何にも持たずに、ほんとにサックスだけ持って、脱出して、そこから友達の家での居候生活が始まりました。

              (明日は<カウンセリングで生活を建て直す>)