2011年7月29日金曜日

グループ「さくら」メンバー募集です!

再び『うつ』にならないために~回復と予防のために~

サポートグループ「さくら」第11回のメンバー募集中!です。
開催日は、9月14日(水)~12月14日(水)の全8回


募集ちらしは、フェミカン堺にあります。
 うつを予防するための「フェミカン流認知行動療法」(担当講師は、加藤伊都子カウンセラー)と
グループ世話人の「うつ」からの回復の体験談を交えながら、全8回で開催します。


なによりも、安心な場所で、同じ思いのメンバーが集まり、それぞれの体験を語り合える時間は、
マイナス思考を、少しずつでも変えていける「ちから」となることでしょう。

グループ参加ご希望の方は、ファックス072-224-0670へ、お申込みください。
グループへのお問い合わせもこちらのファックスでお願いします。
折り返し、こちらからご連絡いたします。

世話人、木近 ちなみ




2011年7月22日金曜日

「100000年後の安全」と「ミツバチの羽音と地球の回転」     * 震災後に観たふたつの映画をめぐって *    

                                       東日本大震災が起きてから4ヶ月が経とうとしている。
いつかは醒める悪夢ならあるいは映画の中の出来事だったら、と思わずにいられなかった光景は紛れもなく現実であり、それをどう受け止め何をしたら良いのか分からないままに日が過ぎた。新聞やテレビのニュースに釘付けになりインターネットで情報を探し、勉強会やデモに参加したり現地へ行ってきた人の話を聞いたり、本を読んだり義援金カンパしたり、せいぜいそんなことをしただけだ。
 季節は移り梅雨から夏へ。大雨や高温多湿が被災地の衛生状態を更に悪化させるのではないか。いまだに避難所生活を余儀なくされている人々のストレスは限界に来ていないか。         
 原発事故は収束するどころか深刻な状態が続いている。それが被災地の復興を妨げる原因にもなっている。放射能汚染さえなければ再開できたはずの、農業や漁業を始めとする地元の産業従事者が廃業に追い込まれる。線量値の高い地域に住む人々の健康、とりわけ子ども達への影響はどうなのか。情報が錯綜し確かな判断基準がない中、移住するにせよ留まるにせよ、多くの困難を伴うのだろう。待った無しの状況のはずだが、その解決の為に動くべき国の政治は又も混乱しているようで、何がどこまで進んでいるのかが見えてこない。
 そんなさなかに、原発に関連するドキュメンタリー映画を2本観た。

1本目は「100000年後の安全」。
フィンランドの放射性廃棄物最終処分場、オンカロが主役だ。
オンカロとは“隠された場所” という意味で、10万年は放射性物質が無害化するのに要する時間らしい。これは、その間壊れないことを想定して設計されたという、地下深く掘り進めながら建設中の貯蔵施設なのだ。
映画はマイケル・マドセン監督が、未来の人間に向けて語りかけるナレーションと
技術者や政府関係者、掘削作業員等へのインタビューを中心に進む。
 使用済みの“ゴミ”となってからも危険な放射線を出し続ける核燃料。(しかも10万年もの間?)そんなものをこの先ずっと使い続けることが果たして合理的だろうか。しかしここでの議論は、未来の人間がオンカロの扉を開けるか否か、現代の人間はどんな方法でメッセージを残せばよいかといったことに終始する。原子力発電そのものの是非については全くといっていいほど言及されない。
10万年間誰もその場所に近づかず気付かず、もし気付いても決して掘り起こさないことが安全を守る条件だというが、まずそれ以前にそれほどの長い間、どんな天変地異があるかわからないではないか。たとえ一国内では封じ込めたとしても、他の国で問題が発生すれば影響は免れないだろう。チェルノブイリがそうであったように、残念なことに今、福島原発の事故もそのことを示していないだろうか。撒き散らされ漏れ出した大量の放射性物質は、原発からの距離如何によらず風に乗り海流に運ばれ、日本だけでなく既にもっと広範囲に亘っているかも知れない。このまま進めば果たして10万年後、人類が地球上にまだ今のような形で住んでいるだろうか?

 映像はスタイリッシュで、怖さよりも美的な印象を受ける。原発内部で作業する白い防護服を着た人々を映した場面で流れてきた音楽のイントロを聴き、ん?これは!と思ったらクラフトワークの「放射能」だった。ここで思わずニンマリしてしまった。この映像にこの曲、70年代なら衝撃的だったかもしれないが、2011年の今、この古典的なテクノポップとの組み合わせはなんともレトロというか、、。クラフトワークがベタに似合いすぎるだけに、こう言っては何だがまるでミュージックヴィデオを見ているような気分になった。
この映画の製作は2009年。もし3・11以前に観たらかなり印象が違っていただろう。想像を超える出来事が実際に起き、今その渦中にいる人間にとって10万年後の議論は遠く感じる。しかし同時にその途方もない数字は、捨て場がどこにもない危険なもの、扱ってはならない代物に手を出してしまった取り返しのつかなさに思い至らせ、慄然とする。

2本目は「ミツバチの羽音と地球の回転」。
鎌仲ひとみ監督による日本映画だ。
中国電力が原発建設計画を進めている山口県の上関町田ノ浦。ここからわずか3.5Km先にある住民約500人の小さな島、瀬戸内海に浮かぶ祝島が舞台だ。
 美しい海と自然がもたらす豊かな恵み。そこで暮らす人々の日々の営み。
この島でとれる枇杷や魚や米等々、どれもが美味しそうで食べてみたくなる。
明るく穏やかで、慎ましく幸福に満ちた風景に原発の物々しさはいかにも不似合いだ。
もちろん不似合いなだけでなく、それはこの風景を一変させ、二度と元に戻せなくなるだけの恐ろしい力を持ってもいる。原発が建ち稼働すれば、原子炉を冷やすための海水が取り込まれ熱は海へ放出される。7度上昇した海水が、毎秒190トン海へ流され続ける。それは潮の流れを変え、海の生き物にダメージを与えるのだ。そして、ひとたび事故が起きればどうなるか。この映画は2010年製作だが、2011年の我々は既にそれを知っている。

この島の人々は28年もの間、建設反対を表明し闘い続けてきた。高齢化が進み、毎週行われているデモの参加者はほとんどが年配の人達である。シュプレヒコールも心なしかのんびりしていて思わず笑みを誘う。しかし、役場で職員や警備員とやり合う場面は壮絶だ。女性も男性も一歩も退かず逞しい。夜明けから日没まで毎日通い続ける、埋め立てを阻止するための行動はまさに命がけだ。海上で中国電力の社員と、それぞれの船の上から直接対決する場面は圧巻である。それは彼等の生活の中からじかに発せられる生の言葉だ。
全体から見ればミツバチの羽音ほどに小さなものが、強大な権力と対峙している図かも知れないが、その姿は誇り高く気概にあふれ感動的だ。

映画はまた、スウェーデンで自然エネルギーによる地域の自立に取り組む自治体を紹介する。オーバートオーネオ市では、木質ペレットを使った温水による地域暖房が使われている。ある男性は、「日本は森林があり自然資源が豊富なのに、それを使わないで石油を買い続けている。わけが解らないよ。」と言う。ストックホルムで、風力で充電している電気自動車に乗った男性は、日本では電力が自由化されていないと聞くと驚き、それは変えなきゃだめだと声を大にして言っていた。スウェーデンは12年前から電力市場を開放しており、消費者は電気を選ぶことができるそうだ。
祝島でも、エネルギー自給率を高めて島の生活を守りたいと考えている人がいる。Uターンしてきた山戸孝さんは32歳で島の最年少。彼は反対運動の活動と同時に、原発に依らない自立する道を模索してもいる。
 

福島原発の事故は世界中に波紋を広げ、諸外国で脱原発への動きが勢いを増している。
それは当然の成り行きだと思うが、それでも原発推進派の人達は原発なしで電力不足をどう解決するのかと言うだろう。しかし彼等とて、自身が被爆する事態になることは是としないだろう。確かに国内では、夏に向かって節電が喧伝されているが。
一方で、仮に全ての原発を停止しても、火力や水力で事足りるという意見もある。ただ、これらを増やせば大気汚染や環境破壊の問題が大きくなる。では自然(再生可能)エネルギーはどうか。つまり太陽光、太陽熱、風力、地熱、バイオマス等だが、これらも長所ばかりとは限らずコストの問題や安定的供給の難しさなどがあり、これだけで万事解決という訳には行かないようだ。
こういう時こそ専門家たちには本領発揮してほしいものだ。日本の優れた科学技術を、あらゆる頭脳、知識を総動員して持てるものを全て使って、(持続可能という語はいささか聞き疲れたが)破滅への近道とは別の、新たな方向を提示してくれないだろうか。


被災地から遠く離れた場所で、一見まるで何事もなかったかのように日常を送っている人々。私もその一人だ。しかし、あの日以来確実に何かが変わったのは間違いないだろう。多発する地震と多数の原発があるハイリスクな所に私たちは住んでいる。西日本でも、同じことがいつ起きても不思議ではない。
ただ、強い緊張に長く耐えるのは難しく、考え続けることも時には苦痛だ。それでも逃げずに考え続けるしかないのだろう。この先どんな社会を望み、そのために自分自身がどう生きるのか、どんな選択をするのか。そして今も被災地の人々が大変な状況にあることを忘れず、自分にできることは何なのか考えたいと思う。
                                (2011.7.10 矢車菊 香)

サポートグループ「さくら」フォローアップ講座開催

●なかなかできない!?「フェミカン流認知行動療法」+「リラックスの方法」を学んでみませんか~

FC堺の講座室にて、7月16日土曜日に開催しました!

2006年3月から「再びうつにならないために~予防と回復のために~」を目的として、サポートグループ「さくら」をはじめて、2011年5月に第10クールが終了しました。

また、9月から第11クールを開催する予定ですが、それがはじまる間の一日フェローアップ講座として、身体からリラックスする方法「気功」を、FC堺の指圧室から横山道子さんから教えていただきました。

10人の参加者+加藤カウンセラー+世話人=12人!
たがいちがいになりながら、横山さんの指導のもと、手・足をぶらぶら・・・ゆらゆら・・・キックもあり・・・座って、立って、寝転んで・・・心身とも気持ちよく、あっという間の60分!でした。

今後、この気功は、気分が落ち込んだとき、気持ちが落ち着かないときなどに取り入れてマイナス思考へ向かいそうな時に活用されるといいですね~~。

そして後半は、参加メンバーによる近況報告を交えながらの自己紹介。
一般の社会生活では「いえいえ、そんな、たいしたことでは・・・」などと、謙虚さを装いながらの話になることも多いのですが・・・
サポートグループ「さくら」の語りの場では、どんな小さなことでも「私ってこんなことが出来るようになった!」と、自画自賛!
「さくら」に参加していたメンバーが、それぞれにグループで学び、今も自分なりに「うつ」にならないようにとやっていることを、まとめてみました。

うつを予防する一つとして
①「マイナス思考」に向かいそうになっている自分に気がつく。
②気がついたら、その思考を止める(考えることをやめる)。
③マイナス思考を止めるための行動パターンを身につける。

個々に③のパターンは、違うけれど「自分のマイナス思考パターン」に、早く気づくことが出来るようになったと、そして、日々進化していることを、みんなで再確認した楽しいフォローアップ講座の2時間でした。

世話人 木近 ちなみ

2011年7月17日日曜日

いたすけ古墳の住人~狸の一家~


いたすけ古墳に、たぬきがいました。
双眼鏡があると、よく見えると思います。
たぬきも人間を見ています。

以下はウィキぺディアからの転載です。

いたすけ古墳(いたすけこふん)は、大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁にある前方後円墳
1999年に野生ののつがいが古墳に移り住み、200411月に新聞やニュースで報道された時は11頭の家族となっていた。狸は本来は夜行性なのだが、晴れた日の昼間などに前述の壊れた橋の上で日に当たる姿が見られた。


というわけですので、皆さんも一度たぬきの一家に会いに行かれては?

2011年7月15日金曜日

パワハラ研究会 ~クレーマーについての雑談から~

昨日のパワハラ研究会。パワハラ的言動を行う人のその他の言動から、彼はマリー・イルゴイエンヌさんの言うところの自己愛的人格障害にあたるのではないかという話から、話はいわゆるクレーマーと呼ばれる人の話に・・・

クレーマーといわれる人の三種の神器は
「お前、それが仕事やろ」
「こっちは客やぞ」
「金払うとんのや」・・・・となぜかコテコテ大阪弁になるのだが、そっちのほうが迫力あるのでご勘弁を。

これが公務員相手になると
「お前らそれが仕事やろ」
「お前ら税金で食うとるん違うんか」
「こっちはタッカイ税金払うとんのや」

あとは何でもこのバージョンで、教師が相手なら
「お前らそれが仕事やろ」
「こっちは子ども預けとんのや」
「お前ら教育者ちゃうんか。それでも教育者いえるんか」

医者が相手なら
「お前らそれが仕事やろ」
「こっちは患者や、素人や」
「お前ら医者ちゃうんか、それで医者言えるんか」と、まあこんな感じ。

ここで力を持っているのは、金を払っているのはこっちやという物言いと、こっちが客だという権利の主張。専門性に対する敬意も、相手の労苦へのねぎらいも、それなりの事情がおありだったんでしょうネという配慮も何もあったもんじゃありません。何でこんな社会になっちゃんだんでしょうね。

正当な要求あるいはクレームとクレーマーとの違いはどこにあるか。

うーん、わからない。だけど、クレーマーと呼ばれる人は、とにかくとにかく自分の思うとおりじゃなきゃやだ、自分が大事にされたと感じられないからやだと、そんなものが根っこにある印象。そしてその不満を、客だの、金だの、仕事だのを持ち出して満足させようとしているような気がするのだが、どうだろう。

客だの、金だの、仕事だのってのはわざわざ言われてなくてもわかること。
「そのとおりです。わかってますよ。それで?だから何だって言うんですか?」と言わせないのが、クレーマーのクレーマーたるゆえんでしょうかね。                 (PON子)

2011年7月14日木曜日

響け 命よ! 千早赤坂JAZZ Night ~Don’t Kill concert 2011

11回にわたって掲載したSwingMASA講演「私とカウンセリング」いかがでしたか?当日は、笑いあり、感心あり、感動ありだったのですが、それらをお伝えする技がなく残念です。それとMASAさんをご存知の方はおわかりだと思いますが、MASAさんはもっとコテコテの大阪弁。聞く分には問題はない、むしろ暖かく、ユーモラスな感じもあって、いい感じなのですが、それをそのままに文字にすると、とても読みにくい。というわけで、少しだけ大阪弁風のニュアンスを残して、書き言葉に整理しました。こうすると概要はお伝えすることはできるけど、やっぱり言葉の持つ活きいき感は半減する感じです。またいつかお願いしたいと思いますので、今回参加できなかった方は、次回は是非ご参加くださいますように。

講演録の掲載が終わったところで、改めてMASAさんのコンサートのご案内です。



7月17日、今度の日曜日、千早赤阪村のくすのきホールでDon’t Kill Concert が開催されます。3.11で、私たちは改めて、一人ひとりの命の尊さと平凡な日々の営みのありがたさとを思い知らされました。今も多くの人々が、日常の生活を取り戻せずにいます。それどころか原発の事故にいたっては、この日本の、そして子どもたちの未来に不安を感じずにはいられないような状態です。

こうした状況の中で準備された今年のコンサートのタイトルは「響け!命よ}です。一人ひとりの命をいとおしみながら、千早赤坂JAZZ Nightをご一緒に楽しみませんか?


以下にメディアに送られた紹介文と概要を貼り付けますので、ご覧ください。
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Swing MASA のサックス + ピアノ・ベース・ドラム・パーカッションと、全員女性のジャズバンド。若きアーティストたちが不思議ライフを展開する千早赤坂村に、今年もニューヨーク仕込みのジャズが流れます。
書のライブ、大画面に次々映し出されるインパクトのある絵画との絶妙なコラボ。そして、テーマは「命」。心にしみるメロディーとリズムの中に、命の尊さを奏でます。感動的な夏の夕べのひとときを体験してください。

昨年に引き続き、千早赤阪中学校の吹奏楽部の皆さんをご招待しています。また、今年は、東日本大震災被災者の方を無料ご招待します。避難されている皆さんのエンパワーのために、元気をなくしているすべての人の心に活力が戻るように、渾身の演奏を聴いていただきたいと思っています。



催し名: 響け 命よ! 千早赤坂JAZZ Night  Don’t Kill concert 2011
出演: Swing MASA Osaka Jazz Womyns
Swing MASA(サキソフォン、ボイス)、河野多映(ピアノ)、廣田昌世(ベース)、今井康鼓(ドラム)、池田安友子(パーカッション)、西村佳子(書)
日時: 2011年7月17日(日)  開場16:30  開演17:30
場所: 千早赤坂村 くすのきホール (0721-72-1300)
<送迎バス> ¥200  要電話予約 090-9870-1260
南海 金剛駅 15:00  16:00    近鉄 富田林駅 15:20 16:20
<タクシー> 近鉄長野線富田林駅より 20分

料金: 前売指定席¥4,000  前売自由席¥3,000  当日券¥4,000
     (チケットの10%は、東日本大震災被災地への義捐金カンパ)
申込・問合わせ: Swing MASA Jazz office
(Tel)090-9870-1260 (Fax)0721-93-5782
           swingmasa@me.com       http://swingmasa.blogspot.com/
主催: Swing MASA Osaka Jazz Womyns を応援する会
後援: 大阪府、千早赤阪村
以上

2011年7月13日水曜日

SwingMASA講演録(11) 最終回<私は決めた>  

向こうの大学は奨学金の申請ができるんです。自分は奨学金をもらうに値する人間なんだって言うのを英語で書いて申請するんです。ちゃんとした理由があれば必ずもらえます。私は最初は500ドルぐらいもらって、毎年申請したらどんどん増えて行って、最終的には4千ドルもらっていました。
申請すればするほど、手紙を書けば書くほど金額が増えていく。卒業してから、自分がもらったように寄付してくれというのは来ますけれど、別にしなくてもいい。返すことが義務付けられてはいないんです。とっても大きいと思います。
私は申請するときに、日本人の女性で、サキソフォーンをやっているのは珍しいから、あなたの大学が私を育てる価値があるんだみたいなことを書きました。マイノリティに援助すべきだと。あなたの大学で育った日本人のサキソフォンプレイヤーの第一号になるだろうとか、女性のサキソフォーンプレイヤーの第一号になるだろうとか、コンドウ先生と考えて書きました。

ネガティブなエネルギーの方向を変えることができたら、それだけすごいことが実現できると思います。その方向を変えるのは自分の力だけでは難しいですね。他人からアドバイスをもらったり、他人とコミュニケーションする中で自分を認識して、行動を変えていくことが必要なんだけど、その作業は一人ではできないと思います。自分でできる人もいるかもしれないけど、そんなに、みんな強い人ばかりではないと思いますし、自分で変えれるんやったらもうみんな変えてるでしょう。持って生まれた自分の資質のようなものはそんなに簡単に変えられないと思います。
マンツーマンのカウンセリングで、自分のうちにあるものを全部出して、組み立てなおさないと変えられない。全部出さへんかったら、あとで組み立てもできへんし、毒みたいなものが残ってしまう。それではやっぱり変えられないと思います。

カウンセリングのペースは、1週間にいっぺんぐらいが一番いいと思います。1カ月も開いてしまったら、また元の自分に戻ってしまいます。1週間に1回でも同じ失敗とか同じ心の癖とかを繰り返しますが、1週間に1回のカウンセリングを続けていたら、その癖が出てきた時に、前にも同じ事言うてたなあと気づくことができます。そしてそれを繰り返し、繰り返し、打ち消していく。そうやって軌道修正をしていくのを何年間か続けないと、なかなか変わらないと思います。私一人だったら、絶対そんな風にはなれてないと思います。皆さんも1週間に1回、3年から5年、カウンセリングを受けられたら、きっとその効果を実感できることと思います。


最後に詩を朗読して終わりたいと思います。セルフエスティームをうまく語った詩です。

この詩は、向こうのファシリテーターを呼んでセルフエスティームのワークショップをやったときにその人が英語で読んだ詩がもとになっています。
その詩は、どこから来ているのか、その詩をいろんな人の前で言ってもいいかと聞いたら、どんどん言ってくれと言われました。その詩は結婚式の牧師が言う言葉の主語を、私に置き換えて作ったものだから、自分が作った詩でもないのだと。
それで、その人が読んだ詩を意訳して、カウンセリングで得たようなこと、できなかった私を責めないとか、失敗した私を許してやるとかを付け加え、ミュージシャンなので、心の声に耳を傾けながら自分のリズムとテンポでという表現を付け加えてまとめたものです。
タイトルは「私は決めた」です。

私は決めた。
あるがままの私を受け入れると。
なぜなら私は私という人の
 始まりから終わりまで付き合う、唯一の人だから。
私は決めた。
できなかった私を責めない。
私は決めた、失敗した私を許してやると。
私は決めた。
常にあるがままの私で、
 それで十分なんだと、自分に認めてやると。
私は決めた。
私を愛し、尊敬し、大切にすると。
私は決めた。
私のベストフレンドに、私がなってやるのだと。
私は決めた。
残された私の人生を共に過ごしたいと
 思えるような、私になるのだと。
私は決めた。
私の心の声に耳を傾けながら、
 私のリズムとテンポで歩いていくのだと。
私は決めた。
あるがままの私を愛すると。

どうもありがとうございました。
      (テープ起こし担当:YOUKO)

SwingMASA講演録(10) <サキソフォンプレイヤーとして永住権をとる>


私はネガティブ思考には自信があります。根がネガティブ思考なので、ほったらかしにしてたら、なんぼでもネガティブ思考になって行っていたと思うので、本当に、カウンセリング受けて良かったと思っています。

先生は、強いネガティブ思考のエネルギーは、方向を変えたら、その強さの分だけ自己実現のためのエネルギーになると言うんですね。私の強いネガティブ思考は、方向を変えたら武器になると言ってくれて、「ああ、そうなんや」と、それも目からうろこでした。

1週間に1回のカウンセリングを5年間受けて、そろそろ一人でやって行ったらとなって、最後の半年ぐらいはゴールに向けてのカウンセリングをやりました。最終日のカウンセリングはほんとにオイオイ泣いて終わりました。これからは一人でやって行かなあかんなと思いました。

それでちょっと一人でやってたんですけど、人間関係でトラブってしまいました。多分私自身が変わったので、今までの人間関係の作り方で知り合った人たちとかみ合わなくなったんだと思います。それまでサポートしてくれていた人たちは、できない私、失敗する私、自己実現できていない私だからサポートしてくれていたのかもしれないと思います。コンサートの実行委員会で「なんでいつもMASAのサポートせなあかんねん」みたいなことを言われたりもしましたが、それまでにとても世話になった人たちなので、そのときも何と言ったらよいのかわかりませんでした。そしてどんな風に、その人たちと付き合ったらよいのか悩んだのですが、今までとは違う付き合い方がその人たちとはできずにいました。

それで、ニューヨークに帰ったときに、また日米カウンセリングセンターに行きました。そのときは、コンドウ先生はドクターを取るために大学に戻ってはって、センターにはいませんでした。それで、違う先生のカウンセリングを3年ぐらい受けました。3年ぐらい経った時に、コンドウ先生が卒業しはって開業したということを、そのカウンセラーが教えてくれて、そちらに通うことになりました。

大学を卒業したあと1年間ぐらいは、プラクティカルトレーニングというのがあって滞在できたんですけれど、もうちょっとニューヨークにいたいなあと思いました。それまでも、ずっとニューヨークに住んでいたいという気持ちがありましたので、永住権を取ろうかどうしようか考えました。その判断をするために、いろんな人の話を聞いたんですが、何年もかかるということで、すごく迷いました。どうしたらいいか判断しかねてカウンセリングで相談したら、「そんな2年や3年は、あっという間に経ちますよ」と取得の後押しをされました。

とは言え、取り方がかわからなかったのですが、カウンセリングで、日本人向けにグリーンカードの取り方の講演会を弁護士がやっているのを教えてもらいました。ステイタスの事で悩んではる人らがたくさんいて、困っている人たちはみんカウンセリングに行っているので、そういう情報もカウンセリングセンターに集まってくるんですね。それで、その講演会があることを、先生に教えてもらって、出かけていきました。
 そこで相談したら、アーティストで永住権を取ってみませんかと、弁護士にいわれました。それだけ、日本のいろんな所でコンサートをやっているんだったら、サキソフォンプレイヤーで永住権が取れるんじゃないかということでした。弁護士が言うには、ビザを取るのも永住権を取るのも同じパターンなので、ーティストビザが取れたら、永住権も取れますよということでした。それでまずビザを取ってみましょうということになりました。バードランドで3カ月に1回コンサートをしているのなら、バードランドがスポンサーになってくれませんかねと弁護士さんが言うので、バードランドのオーナーに聞いてみました。スポンサーとして契約書にサインしてくれへんかって聞いたら、「何ぼでもやってやるで」「とりあえず持っといで」と言ってくれたので、弁護士さんが作ってくれた契約書を持っていって、サインをしてもらいました。
それで、まずアーティストビザが取れました。次にそのパターンで、同じように永住権の申請をしたら、永住権も取れました。それまで、Jazzサキソフォンプレイヤーで、永住権を取った人はあまりいてないと思います。たぶん私が最初じゃないかと思います。

Jazzプレイヤーで永住権なんかなかなか取れないとみんな思っていました。だからみんなジャズプレイヤー以外の方法で永住権を取っていました。たとえば普通のレストランで働いて、レストランから永住権を得たりとか、日本語と英語の文化的な橋渡しをするのに役立つ特殊技能のを持っているというので、特殊技能のH‐1ビザを取ったりとかしていました。つまり、真正面から自分の本業で、ビザや永住権を取ってはれへんのですよ。
私はカウンセリングを受けていて、そこで得た情報で、弁護士に相談することができて、その助言で真正面から自分の本業で永住権を取ることができました。

そのことは、サキソフォンプレイヤーとしての私の自信につながりました。そして今度は、サキソフォンプレイヤーでビザを取ったり、永住権を取ったりしたんだから、もっとその活動をしなければとなっていきました。サキソフォンプレイヤーとしての仕事や活動をするように、自分で自分をが仕向けて行って、いろんな所で仕事をするようになりました。った感じです。
世の中には、そういう活動をしているのを、見てくれてはる人がいて、推薦してくれたんだと思いますが、2001年に大阪府のプリムラ奨励賞をいただきました。カウンセリングを受ける以前の裏街道(ばかり歩いていたのとは違って、表街道も、少しは歩けるようになってきた感じがしています。

明日は最終回。講演の最後の部分と講演終了後の質問部分とを編集してお届けします。
タイトルは<私は決めた>

2011年7月12日火曜日

SwingMASA講演録(9)<自己実現への道> 

そういうロールプレイをやってくれるのはカウンセリングの場以外ではありませんし、すごく助かりましたが、カウンセリングで一番すごいと思うのは、先生との信頼関係です。1週間に1回のカウンセリングを1,2年ずーっとやってきたら、ある程度の信頼関係ができてきます。先生には守秘義務があるので私の秘密は一切しゃべらない。私も誰にも開かない心の窓みたいなのを開いて全部先生に打ち明ける。そうやって自分の気持ちを言語化して、自分の心の状態を認識し始めるわけです。

最初は受け入れてくれるばっかりです。話をすごく聞いてくれるし、落ち込んでたら慰めもしてくれるし、私の望んでいることを言うてくれる。たった一人の、世の中で一番の、私の良き理解者にカウンセラーがなっていくんですね。その中で、ある程度の時期をこえたら、私自身の弱い所を補強するために、いろんなアイディアを出してくれたり、私の見たくない部分を指摘してくれたりするようになります。

その時には、それまでと違って居心地が悪いので反発もしました。その頃私がコンドウ先生に一番言ったのは、先生は男やし、フェミニストの視線がないから分からへんのですよということでした。それをすごく言いました。
その当時日米カウンセリングセンターには3人ぐらいの先生がいましたので、女性のカウンセラーに変えてくれということをしきりに言いました。でも、カウンセリングは、スーパーバイザーもいるし、カウンセリングの状態についての話し合いもするので、カウンセラーを変えても、方向は同じですよと言われて、あきらめて先生のカウンセリングを続けることにしました。そこらへんから、もう一歩突っ込んだカウンセリングになっていきました。自分の成長期に先生が関わってくれてはる感じがすごくしました。

それまでの私は、は小さい子が、できへんことを、いやいやって駄々をこねてるような状態でした。カウンセリングを受ける中で、ちょっと落ち着いてきて、ほんとにそれができるかできないか見定めてみようという風になりました。そしてやってみたらできることもあるんじゃないかという感じの示唆もカウンセリングの中でもらいました。
それまで、私は、その内容や中身について踏み込むことをせずに、何もしないで、そんなのできへんと、そんなんできへんと言うてたんですが、それが、ほんとはどうなのかを考える段階に入っていきました。それは今までの私には全然なかったことで、面白かったですね。

たとえば、在学中に、自分がリーダーでバンドを組んで、自分の作った曲を演奏するということをしました。それまでは自分のバンドを作るなどという発想すらありませんでした。誰か、すごいミュージシャンが私を見つけてくれて、バンドに入れてくれはらへんかなみたいな、そんなことしか考えてなかったんですね。

自分の作った曲で、自分が表現したい内容を自分のバンドでやってみる。考えもしなかったことをまずやってみました。そしてやってみたらできたんですよ。それまで私は、ボーカルの女の人やピアノの女の人がライブをやっているのを、嫉妬しながら見ていたんですけど、そのバンドのデモテープを作って、私のライブやってもらえませんかと、ライブハウスに持って行くようになりました。そんなことも「やってみませんか」というカウンセラーのアドバイスではじめたことでした。そう言われて、だめもとで、ほんとにだめもとで、やってみたんです。               
 そのだめもとで引っかかった所に、バードランドという、名の通った、向こうでは老舗のライブハウスがあります。「私、ウーマンズバンドをやっていて、ここでライブやりたいんだけど」というのを、話した相手がそのバードランドのオーナーやったんです。「誰に言ったらいいんですか」って聞いたら、「僕がオーナーや。僕に言うてくれ」って。

それで、いつやりたいんやとか、日にちまで聞いてくれました。日本人ばっかりのウーマンズバンドを「面白いな、いっぺんやってみるか」みたいに言ってくれて、契約書まで書いてくれました。それで、一回やりました。一番最初のライブだったので、私も気合を入れて、満席になるぐらい人を動員しました。結果、そのライブ自体は大成功となりました。
結構人も動員しましたし、演奏についても女性のJazzもなかなかいいじゃないかみたいな感想も得られて、じゃ、3カ月にいっぺんぐらいやってくれるかという話になりました。

それまですごい嫉妬していた人たちがやっていたライブハウスは、誰でもが出られるようなところでしたが、バードランドというのは誰でも出られるようなところじゃないんです。そこに引っかかったというのは、自分でもびっくりで、すごいうれしいことでした。

私は、そういう自己実現みたいなことを描いてニューヨークにいったわけではないんです。とにかくJazzを浴びるほど聴きたいということで、ニューヨークに行ったんですけど、カウンセリングを受けることで、ひそかに夢見ていた、憧れていた自己実現が、ドリームカムトゥルーというか、少しずつ形になっていきました。

今ではいろんな日本人のJazzミュージシャンが老舗と言われるようなところに出られるようになりましたし、いろんな人がいいライブハウスに出ていますけど、当時はそんなに誰もができるようなことではなかったのです。バードランドに出られるまでになれたというのは、その頃の私にとっては、ここまで来れたらもうそれでええわというぐらい、うれしいことでした。そういう風な道筋も含めて、カウンセラーのだめもと精神のアドバイスがなければ、そこまで行ってなかっただろうなあと思います。根が強いネガティブ思考なので、一人ではできていなかったと思います。



(明日は<サキソフォン・プレイヤーとして永住権をとる>

2011年7月11日月曜日

SwingMASA講演録(8)<大せつなのはセルフ・エスティーム>  <引っ込み思案のサキソフォン。プレイヤー>>

7月17日に開かれるDon't Kill Concertは、セルフ・エスティームと深い関わりがあります。自分が生まれてきたことを喜ぶのと同時に、すべての人の生を尊ぶコンサートです。

<大切なのはセルフ・エスティーム>
30歳過ぎてから大学に行き直すという発想は、日本にいたら持てなかったと思います。そういう発想は、私にも、私の周辺にもありませんでしたので、やっぱりカウンセリングを受けて得たことだと思います。

カウンセリングで得た一番大きなことは、セルフエスティーム、自尊心です。自分という人間とちゃんと付き合って、自分という人間をちゃんと尊敬してやるということでした。自分を大切にするということは、今までの私のポリシーにはありませんでした。人を大切にするというのは、ちっちゃい頃から、お母さんとかに刷り込まれてきましたが、自分を大切にするということは教えてもらっていませんでした。お母さんは、自分を大切に生きてきはった人ではないので、そういうことはあまり教えてくれませんでした。
自分を大切にすることが一番大事なんだということを、カウンセリングで学びました。自分という人間との付き合い方が、人との関係の作り方に反映して行くというのも、そのカウンセリングでわかっていきました。

当時同じようにJazzを学びに行ってた日本人の女性の友達たちも、みんなカウンセリングにも行ってましたし、カウンセリング仲間のネットワークができていましたので、カウンセリング仲間で、自分を大切にするためのイベントを何かやろうじゃないかということになりました。そうして始めたのが誕生日パーティです。自分で自分の誕生日を祝う。他の人は、みんなでその人の家に行く。一品持ち寄りで集まってパーティーをするというのをやり始めました。それは結構何年も続きました。
自分の誕生日を自分で祝うっていうのはセルフエスティームの基本だと思います。それをやって、生まれてきて良かったなあと思えるのはすごく大事なことだと思います。

<引っ込み思案のサキソフォン・プレイヤー>
カウンセリングを受けている仲間同士でも、みんなJazzやっていますから、葛藤もありました。私はなかなか人前で演奏する機会を得ることができませんでした。自分のライブパフォーマンスをする機会がなかなか持てなかったんですが、、他の人、ボーカルの人やピアノの人たちはどんどんライブをやっていっていました。自分のコンサートをやっていっていました。それなのに私はなかなか自分のライブがやれなくて、そういう人の自己実現の様子を見ていたら、うらめしいというか悔しいというか、むかつくと言うか・・・・。失敗しはったらいいのにと思うぐらい面白くありませんでした。人の自己実現を喜べない私がいました。
ジャムセッションでも、ボーカルの子はすぐ順番が回って来るのに、私いつも飛ばされていました。サックスという楽器は、他に男のプレイヤーもいっぱいましたし、男性のサックス吹きは、だいたいみんなすごく自己主張が強い。私が、私がみたいな感じで、ライオンとかトラみたいに、自己主張が強い。引っ込み思案のサキソフォーンプレイヤーなんていないんです。引っ込み思案のトランぺッターも少ないんですけれども、引っ込み思案のサキソフォンプレイヤーもいない。

私は、サックスプレイヤーなんだけど、女性で引っ込み思案で、なかなか次は私の番だと言えない。当ててもらうまで、待ってしまっている人間でした。そして、当てられても、自信なさそうにしていたら飛ばされるんです。そんなので、いつまで経っても自分の順番が回ってきませんでした。
カウンセリング仲間の、ヒロちゃんという、ボーカルの子がいたんですけど、いつもちゃんと自分のパフォーマンスをする子でした。あるとき、私には順番が回ってこないのに、後から来たその子が歌ってしまったんです。すごいショックで、悔しくて、もう石があったら投げたいぐらい腹が立ちました。そういう事が何回か続いて、それをカウンセリングで話したところ、また先生がロールプレイしてくれたんです。先生が私役をやって、飛ばされそうになった時に、ちょっと待ってくれっていう言い方とかのロールプレイをやってくれたんですね。
それをそのまま、次のジャムセッションでやったら、うまいこと行って、ちゃんと吹けました。それからその方法を使うって、次から次へとジャムセッションでちゃんと吹けるようになっていきました。

(続きは明日<自己実現の道>)

SwingMASA講演録(7)<大金が入る/大学で学ぶ>

ニューヨークに行ってから3年目ぐらいに、久しぶりに日本に帰って帰国コンサートをやりました。その時に、私に大金が入ります。ニューヨークに行く前、大失恋の後に住んでいた部屋を私名義でいたんですが、そこが立ち退きになっていたんです。立ち退きの話は、ずっと前から持ちあがっていたんですが、そんなことはほったらかしにして、私はニューヨークに行っていました。周りの立ち退きは全部進んでいて、私のところ以外は全部立ち退いてました。私のところだけ、私の名義で借りてた分だけが残っていて、大阪市が私を探していたそうです。家主さんが、店子としての私の立ち退き料を預かってくれていて、戻っているならを渡したいということで、ポンっと何百万かの立ち退き料が私に入って来ました。

まるっきり棚からぼた餅のお金でしたが、今度こそはもっといい使い方をしたいと思いました。それまでそんな大金を持ったこともなかったので、これだけのお金が入ったんだけどという相談をカウンセラーにしました。相談の結果、Jazzの学校に行ってみたらどうだろうということになりました。それまでも、行きたいとは思っていましたが、自分の収入では、大学に行く授業料はとても出せないので、あきらめていました。あきらめてはいたけれど、jazz学科のようなところに学びに行けたらいいなあというのが、自分の深い所にはありました。それで、たまたまお金もできて、先生の後押しもあったのですが、そのときの私には、今から大学に行く3年間というのが、すごく長く感じられました。遠い向こうのことのように感じて、現実のこととして考えられませんでした。

グリーンカードや永住権の申請もそうなんですが、3年から5年かかるとか聞くと、そんなかかるのかといやになっていました。3年という時間がすごく遠いことのように感じられて、そのためになかなか決断ができずにいました。そのときに先生が、一生Jazzサキソフォーンプレイヤーとしてやっていく中での、23年はすごく短いし、そうでなくても23年なんてあっという間に経ってしまう、その中で得た知識や技術は、全て私自身の身につく財産で、人に取られることもない、邪魔になることも絶対にないと、アドバイスしてくれました。Jazzという音楽をやっていくのに必要な基礎や理論を知らないで、はったりだけでやっていけると思いますか」と。
それまでも、Jazzサックスの先生についてプライベートレッスンは受けていました。そうやって勉強はしていたんですが、理論も含めてきっちり習いたいという気持ちはありました。そんなことを考えていたら、先生に「だめもとでオーディションを受けるだけでも受けてみたらどうですか」と言われました。

先生はいつも私に「最初から行けると思わないで、だめもとで、何でもやってみたらどうですか」と言っていました。それは私にとってはすごいむずかしいことで、やるとなったら絶対通りたいと、そんな風に思ってしまうほうでした。今は「だめもと精神」というのはほんとに大事だと思っています。この「だめもと精神」は私がカウンセリングを通して得た、すごく大きな財産だと思います。
その時も、「だめもと」で受けてみました。だめもとと言っても、私なりに、必死で練習をしました。めちゃめちゃ練習しまくって、熱が出るほど練習しました。当日にも熱を出してしまったんですけど、練習というのはすごいもので、練習したことは熱が出ていても、オーディションの場でできるんですね。ふらふらしながらも、練習したことはオーディションで発揮できました。これであかんかったらもうしゃあないなあと思って、その日は帰ってきました。何日かして、「来てください」という手紙が来て、私が一番行きたかった、ニュースクールユニバーシティーのJazzアンドコンテンポラリーミュージックに行くことになりました。

なんだかんだと通算3年ぐらいそこで学びました。やっぱり、プライベートレッスンだけを受けているのとは全然違いました。こんなことも知らんかったんかということがいっぱいありました。私は、自分のことをJazzミュージシャンってなかなか言えなかったんですが、Jazzミュージシャンというのが恥ずかしい、Jazzをやりたいと言うのも恥ずかしいぐらい何にも知らなかったというのが、その大学に行って分かりました。

向こうの大学は厳しくて、ちゃんとしたレベルに達していないと卒業させてくれないんですね。入るのは、わりと簡単に入れるんですけど、簡単には出してくれない。なかなか入れなくて、入ったら誰でも卒業できるという日本の大学と違って、門戸は開かれているけど、卒業するのは結構大変という感じでした。2年から3年にあがるときに、テストがあるんですけど、それに通らなかったら3年に進めないんです。どんなテストかと言うと、レパートリーにスタンダード曲を10曲を選んで演奏をする。全部メモリーして、試験官にどの曲を指定されてもできるようにしておかなあかんのです。その他に3曲ほどオリジナル曲も演奏できなければいけない。それもどの曲を演奏するように言われるかは、その時になってみないと分からないので、どれもちゃんとできるようにしとかなければいけないという、そんなテストです。それを通過しなかったら、さっきも言ったように、3年には上がれません。
その試験がきついんですよね。ちょっと演奏できる程度のものではなくて、その曲を、裏からも表からも、全部理解して、どういう茶々が入ってもたじろがないで、演奏できるところまでいかないとダメなんです。試験官は、その時、大学が選んで来た第一線のJazzミュージシャンです。外で活躍してはるJazzミュージシャンが試験管になる。そしてその人たちが、この人はJazzミュージシャンとしてやっていけるかどうかを判断、採点します。この3人の試験管がOKを出さないと通らないんです。

それを通過するの結構大変でした。すごくきつかったんですけど、そのためのプライベートレッスンを受けるというアドバイスもカウンセリングの先生がしてくれました。理論の授業も全部英語で苦労したのですが、先生も、シティカレッジの心理学を英語で受けはったので、その苦労を良く分かってはる。それでどないしたらいいのかというのを教えてくれました。たとえばちゃんと録音しておくとか、分からへんところは、お金出してでも、その教えてはる先生のプライベートレッスンを受けて、分かるようにするというようなことです。私は英語がそんなに得意ではなかったので、分かれへんこともたくさんあったんですけど、とにかく先生に教えてもらった「だめもと精神」でやっていきました。分からないところは、プライベートレッスン料を出してでも、聞いて、教えてもらって、補充して行くというやり方で、なんとか卒業まで漕ぎつけることができました。
(続きは明日 
<大切なのはセルフ・エスティーム>と<引っ込み思案のサキソフォン・プレイヤー>)

2011年7月10日日曜日

オルフェウス管弦楽団のDVD視聴~フェミニストカウンセリング研究会~

このところMASAさんの講演録の掲載が続いていますが、ちょっと他の報告。
昨日7月9日。2ヶ月に1回行われているフェミニストカウンセリング研究会がありました。前半はDV被害当事者の支援についての検討会。相談には何もできなさそうに、一見見えるような相談を受けたとき、その人のエンパワメントのためにできることは何か、あるいはその人の力をどうやって見出すかなど、短い時間ではあれ、有意義なディスカッションが交わされました。(と思っているのですが、参加した方どうでしたか?)

そして後半オルフェウス室内管弦楽団のドキュメンタリーDVDを見ました。オルフェウ室内管弦楽団は指揮者のない管弦楽団として知られています。1972年にジュリアン・ファイファーらによってニューヨークに創立されました。1997年と2008年に日本でも公演しています。昨日見たDVDは1995年に作られたもの。日本公演の2年前です。

指揮者がいない管弦楽団ということで、リーダーシップについての文章などでしばしば取り上げられていますが、このオルフェウスの原則は次の8つ。

・その仕事をしている人に権限をもたせる
・自己責任を負わせる
・役割を明確にする
・リーダーを固定させない
・平等なチームワークを育てる
・話の聞き方を学び、話し方を学ぶ
・コンセンサスを形成する
・職務へのひたむきな献身   

ですが、当日DVDを見ているときはそんなことはすっかり忘れ、見入っていました。


作中で演奏される曲は、比較的よく知られたもので、演奏のレベルも高く、それだけでも十分に楽しめます。構成も好評でしたし、「いいな、好きなことで生活していけて、仲間もいて・・」という視聴後の意見もあり、確かにとてもやりがいのある仕事、生きがいのある人生という感じでした。

このDVDのタイトルは「ORPHEUS IN THE REAL WORLD 26Musiciansー
26Conductors」。26人の演奏家=26人の指揮者ということですが、この演奏家を支えている事務方がいます。この人たちが26人の中に入っているかどうかはわかりませんが、オルフェウス室内管弦楽団の演奏を支える、言うならばマネージャーのような存在です。この人たちは演奏家たちの演奏に関する討論や高まり、チームワークの外側にいます。「彼は抑圧的だ」「彼は演奏家の心がわからない」「だけど、彼がいるから自分たちは演奏活動を続けていられるのだ」というジュリアンに対する演奏家たちの評価が、作中で紹介されていましたが、どういう役割で、演奏家たちとどういう関係にあるのか、興味のあるところです。

また作中の「意見があわないときは妥協することが民主制を支える」と言うような言葉も印象に残りました。理想主義的な組織運営と称されるオルフェウス管弦楽団ですが、理想を支えるには、それなりの苦みや辛さがあり、メンバー各々がその苦味や辛さも引き受けていく、そのことのほうにオルフェウスの真髄があるのではないか、そんな気がしました。

それと、メンバーの中に佐藤瑛里子さんという日本人女性がいました。日本女性は世界のどこにでもいるというのを以前に聞いたことがありますが、ホントですね。かっこよいことこの上ない。
(加藤伊都子)

SwingMASA講演録(8)<健康的な生活に>


禁恋と同時に考えたのが禁煙です。それまで私はお酒もたばこもやっていまいした。その頃に胸が痛いなと感じることがあり、サックスをずっと吹いていく人生なのに、肺活量に関することでトラブルがあるのはちょっとやばいなあと思っていました。
なので、たばこを止められたら、やめたいなっていうのはずっとあったのですが、なかなかやめられずにいました。その当時先生もたばこをやめようとしてはって、先生はやめられたみたいなんですよ。でも、私はなかなかやめれられなかった。

そんなときに出会った鍼灸の先生に、クイックスモーキングといって、タバコをやめるための鍼灸のトリートをやってはる人がいました。一回の鍼灸でたばこをやめられるというのが、1回で150ドル、1万5,6千円。めちゃめちゃ高いんですけれど、ずーっとたばこを吸うことを考えたら、それでも安いんじゃないかと思いました。

やめることのメリットなどは、コンドウ先生のカウンセリングでわかっていましたので、クイックスモーキングの治療をすることにしました。耳に鍼をして、自分の意思で3日間だけがんばってくださいと言われました。「あとはそれの繰り返しなので、3日頑張れたらずーっと頑張れます」と、言われて、3日間頑張って、3日目に崩れました。

150ドルも出したのに水の泡になったんですが、1回崩れたら何ぼでも吸うんですよ。それはたぶんお酒とかも全部同じだと思います。ちょっとのつもりで飲んだお酒が、2回、3回となって、アルコールに依存するようになっていくのだと思いますが、たばこも同じで、またずーっと続けてしまいました。

それで、鍼の先生の所に行ったら、「あなた腰悪いんでしょう」「腰が悪いと、意思が崩れるんですよ」と言われました。そして「腰を治しましょう」と言わはって、眉間に鍼をずっずって打ちはったんです。そしたら腰の痛みがサーッととれていきました。あれは不思議でした。ここ(FC堺)は鍼灸をやっているから、鍼灸の先生もそういうことはご存知だと思いますが、それで腰が痛いのが取れて、また治療をしてたばこを止めることができました。

それと同時にカウンセリングでコンドウ先生に「何かし始めたらどうですか」と言われました。それでその鍼灸の先生に、気功のレッスン、実習パターン1というのを受け始めました。気功のレッスンは、たばこを吸ってたら受けれないんです。だからちょうど良かったんですが、それと同時にジョギングも始めました。

ジョギングというのは、体内の毒素がどんどん外に出るので、ニコチンがわりと早く体から出て行くんですが、そういうのもカウンセリングの先生が教えてくれはりました。
それで、タバコやお酒を止めるのと同時に、毎日ジョギングをすることにしました。トンプキンス・パークという公園の周りを、一日一回ジョギングするというのを、始めたんですね。その頃から、それまでネガティブ思考で後ろ向き、すさんだ生活をしていた私が、少しずつ健康的に変わっていきました。カウンセリングを受けていなかったら、絶対にそういうことにはならなかったと思います。それが私の建て直しの第一段階でした。

自分の考え方がポジティブに変わっていき、生活も考え方もどんどん健康的になっていきました。その自分の変化に自分で驚いていました。カウンセリングの効果を感じて、これはいいなと、もうちょっと受け続けたいなと思いました。そう思ったのがカウンセリングを受け始めてから1~2年ほどした頃でした。深いところからジワーッと感じるような変化でした。

それから、私は、こんなええもん、人にも伝えたいなと思うようになりました。私と同じようにJazzをやりに来てるJazz仲間の中の女性の中に、私と同じような人たち、アフリカンアメリカンのミュージシャンに憧れて、恋愛して、生活がむちゃむちゃになってはるという人たちがいました。そういう良く似たパターンをしてはる人が何人かいました。相手に暴力を振るわれているとかそういったことも本当に良く似ていました。そういうことで悩んではる人たちに、日米カウンセリングセンターの話をしました。そうしたら、78人おった私の友達が、みんなカウンセリングに行き始めたんです。みんな3年から5年受けていました。

2009年 Swing MASA Osaka Jazz Womyns  
 相手の子どもを産みはった人もいましたが、最終的にはどの人もみんな相手と別れました。そういうカップルで相手とうまくいっている人はほとんどいませんでした。文化や使う言語の違いをロマンスだけで越えることはできないんだと感じました。恋愛で一番大事なのは、コミュニケーションなのに、そのコミュニケーションが、言語が違ってあんまりできないのでは、ロマンスや愛を作れるわけないということがよくわかりました。愛はとても現実的なものなのに、現実を見ないで恋愛していたのが、カウンセリング通してよくわかったという感じです。



私は1週間に一回のペースでカウンセリングを受け続けていました。
           (続きは明日<大金が入る/大学に行く>)

2011年7月8日金曜日

SwingMASA講演録(5)<恋愛依存からの脱却>

カウンセリングを受けながら、少しずつ生活の建て直しを始めていったMASAさん。仕事も見つかり・・・・・

その中で一回だけ、DVの相手と一緒にカウンセリングを受けたことがあります。私のカウンセラーが相手に、とにかくアルコールを止めるプロジェクトに入ってくれと言って、その人はそっちでがんばるということになりました。私はコンドウ先生のところでカウンセリングを受けて、その人もお酒を止めて頑張ったんですね。1年か何年かしてから、コンドウ先生を通して連絡してきはったりもしていました。

私はカウンセリングを受ける中で、自分自身の生活を振り返って、どうやらいつも恋愛してるなあと気がついていきました。ほんとに相手の人を理解して恋愛してるわけではなくて、自分が楽しかったからとか、人と一緒に居たかったからというのが、どうやら恋愛になってしまっていると気がついていったんです。

それらの恋愛は、リスペクトした相手と、相手の人格も認めて恋愛しているというものではありませんでした。自立した者同士が恋愛するという感じでもなかったということにも気がつきました。それでちょっと恋愛から距離を置こうと思うようになりました。

人と恋愛するんのではなくて、自分という人間ともっとちゃんと付き合ってあげようと、恋愛をするなら自分と恋愛したらいいんだということを、カウンセリングの中で見出していきました。
あるとき、その人から連絡があって会ってみたら、その人も、やっぱりお酒を飲んだ勢いで私と恋愛していたんだというのを感じました。

歳がお父さんほど開いていますし、そうした年齢の人の素面の引きしまった顔は、私と恋愛しようという感じの顔ではありませんでした。やっぱりあれは酔った勢いでの恋愛だったんだなということを素面のその人から強く感じました。


もちろん、私のことをすごく大切に思ってくれはったというのはあります。だけど、あの恋愛は酔った勢いでの恋愛だったんだということが、久しぶりに再開したときにはっきりとわかりました。そしてやっぱりこの関係はいったん閉じようと思いました。ちょうど恋愛から遠ざかろうと思えた時期でしたので、別れることにしました。        

それから、とにかく、ねんごろな関係を5年間はシャットアウトしようと決めました。仮に仲良しとかお友達とかになっても、少なくともセックスだけはせんとこと、肉体的な関係にだけは絶対に入らないでおこうと決めました。とにかくそれだけは守ろうと決めました。

そしてそのカウンセリングを受けた次の年の年始に、自分で簡単な目標を立てました。自分に約束するみたいな感じで「したくないことはしない」「やりたいことだけやろう」と決めました。一番最初の、カウンセリングを受けた次の年の年始に、そんなことを先生に言ったことを記憶しています。  

                (明日は<健康的な生活に>)

2011年7月7日木曜日

SwingMASA講演録(4)<カウンセリングで生活を建て直す>  

カウンセリングですが、最初先生は、何にもしてないんだから、できる限りカウンセリングを受けに来てくださいと言わりました。日米カウンセリングセンターは、当時ニューヨーク市から補助を受けていて、私みたいに、お金を持っていない、生活がアップアップしている人は、カウンセリング料金を払わなくてもよかったんです。それで、料金は払わなくていいから、たくさん来てくださいと、先生が言わはったんですね。それで最初は、ほんまに暇で何にもしてなかったし、一人でおったら、ネガティブ思考で悪い方にばっかり考えるから、二日にいっぺんぐらい先生のとこに通っていました。
先生のとこに通って、話していく中で、とにかく今の生活を建て直そうという目標を得ることができました。それまでは、ただただ不安になるだけで、落ちて行くだけで、生活を建て直そうなんていうことすら思いつきもしませんでした。そのときの自分は迷子になった子どもみたいな状態でした。親を見つけられないで泣いている子どもみたいな感じだったんですが、先生と話すことで、このままではだめだと思うようになりました。まだそんなに落ち着けてはいなかったけれども、まず生活を建て直そうと思いました。


で、何から始めるかなんですけど、収入がなかったら生活もできないということで、まず仕事を探そうということになりました。非常にプラクティカルなんですが、まずは仕事を探す。だけどどないして探したらええか分からへん。そう言ったら、先生がニューヨーク便利帳とかいうのを持ってきはりました。
ニューヨークの日本食レストランの一覧表が載っている、ニューヨークの便利帳があるんですけど、それを持ってきて、この日本食レストランの1軒ずつに面接に行ってみようといわれました。それで面接を受けに行ったんです。それまでは何にもしてなかったんですけれども、就職活動を始めました。
最初は断られてばっかりでした。ネガティブ思考があるから、相手に取ってもらえるような受け答えができなくて何日間かは、断られるために行ってるみたいでした。カウンセリングに行ったときにその話をしたら,「どういう面談してはりますか」と先生に聞かれました。それから「僕やったらどういう風にするか」みたいなんをロールプレイしてくれはったんです。              

私が面接する側になって、先生が面接を受ける側になってのロールプレイでした。それを見て、あまりの自分のネガティブな返答の仕方にハタと気がつきました。それで先生が言うてはるみたいな言い方、相手のノーを引き出さないような答え方をするようにしました。たとえば、ちゃんと10分前には入るようにしますとか、土日は休みたいけれどそれ以外の日は、全面的に営業に協力できますみたいなことをはっきり言うようにしました。


 普通のお店、商売してはるとこは、土日っていうのは搔き入れ時なので、土日あかんと言 う人は雇ってもらえないんです。だけど、私には自分はjazz修行に来たんだというのがあ りましたので、土日はどうしても休みたかった。土日にはいいパフォーマンス、コンサー トやライブがあるので、それを見逃したら何のためにニューヨーク来たのか分かれへんと いうので、土日休んでもオッケーなとこを探していたんです。

それで、それ以外の事は、全部そちらの条件に合わせますみたいなことを面接で言っていったら、先生とロールプレイをしてから行った面接の3軒目で引っかかりました。日本のカラオケバーみたいなとこで、土日以外の平日は毎日出勤できるということで雇ってもらうことができました。
それまではカウンセリングはただでやっていただいていたんですが、とにかく一番最初の給料をもらってからカウンセリング料を決めましょうということになりました。向こうは週給なんですよ、1か月じゃなくて、週給でもらえるんです。
その一番最初の週給をもらえた時から、カウンセリング料金を払うようになりました。最初3ドルか5ドルかそんなでした。あの当時は、1ドルが120円か130円だったので、600円前後というか、それぐらいだったんですね。そこから仕事もするので、2,3日に1回のカウンセリングが1週間に1回のペースになりました。そのペースでとにかくずーっと続けました。
        (明日は<恋愛依存症からの脱却>)

2011年7月6日水曜日

SwingMASA講演録(3)                            <アラノン・カウンセリング・DVからの脱出>

そのちょっと前くらいからアラノンのミーティングに通い始めていました。

アラノンというのはアルコール依存症の人と付き合う家族の会。アルコール依存症の人の子どもとか、アルコール依存症の人の妻とかあるいは家族の一人がアルコール依存症とか、そういう人たちが通ってるグループです。
そこのミーティングに通い始めていたのですが、基本、言語が英語なので片言英語で参加していました。英語で自分の状況を説明するのは大変でしたが、全部は分からなくても、いろんな人の話、自分と同じ状況を抱えてる人の話を聞くのは気が楽になることでした。もちろん勉強にもなりました。

ある日、そのミーティングのファシリテーターというか、リーダーみたいな女性が、日本語と英語のバイリンガルのカウンセラーがいるんだけど、その人のカウンセリングを受けてみないかとアドバイスをしてくれました。
日本語で自分の今のしんどさを聞いてもらえたり、相談できるんやったら、そっちの方がずっと楽やなあと思い、日米カウンセリングセンターのコンドウ先生という方のカウンセリングを受け始めました。それからずっと10年以上、その先生のカウンセリングを受けることになります。

その先生のカウンセリングを受けているときに、いわゆるドメスティックバイオレンスを受けて、外に出られないように部屋に閉じ込められたことがありました。それで、中から先生に電話をかけました。とにかく身の回りの物は全部捨てて、自分の身とサックスぐらいでええから逃げた方がいいと、ちょっとの隙を見つけてでもその場所から脱出した方がいいと言われました。「なんやったら、警察呼びましょか」みたいに言われましたが、そのときの私には、警察に暴力を振るう相手を捕まえてもらうという発想がありませんでした。それまで反権力の運動をしてたので、警察に電話をかけるというのは、相手を警察に売り渡すみたいなイメージで、それだけはしたくないという気持ちがありました。

もっと捕まえられやなあかん人を先に捕まえられたらいいし、「そんなアルコール依存症みたいな、社会の弱者のような人を権力に売り渡すのはいやや」みたいな、変な価値観があって「それだけは困ります」と、先生のアドバイスを拒否したりしていました。そうしてるうちに相手のちょっとした隙を見つけたのが脱出のきっかけとなりました。着替えも何にも持たずに、ほんとにサックスだけ持って、脱出して、そこから友達の家での居候生活が始まりました。

              (明日は<カウンセリングで生活を建て直す>)

2011年7月5日火曜日

SwingMASA講演録(2)<トミー・タレンタインとの出会い>

Jazzに憧れて行っていますので、ニューヨークで出会った
Jazzミュージシャンがとてもかっこよく見えました。とりわけ私
はアフリカンアメリカンのJazzミュージシャンに憧れていました。
Jazzという音楽が、アフリカンアメリカンの人たちにルーツがある 文化ですし、ちょっと楽器持ってはるだけでもめちゃめちゃかっこ 良く見えていました。

向こうにはJazzセッションの会場、JazzミュージシャンがJazz修行する道場みたいな場所がいっぱいあるんですけれど、そういう場所のひとつのユニバンテーオブストリートによく通いました。一週間に一回は行っていました。そこは、私が憧れていたジョン・コルトレインなど、著名なミュージシャン、みんなが行ったことがあるJazzセッション会場でしたので、自分がそこにいるというだけでもすごくうれしかったんです。

そのミュージシャンの中の一人に、トミー・タレンタインというトランぺッターがいました。その人は、私の父ぐらいの年かっこうの人でした。私を気を留めてくれて、いろんなJazzのイロハを教えてくれたんですが、すごいアルコール依存症で、私にJazzのイロハのいろいろを教える代わりに、最後にちょっと「ギブミーダラー」とかって、1ドルとか2ドルとか、「くれ」と言いはるんですよ。

2010年7月17日 Don't Kill Concert
私は出資金が130万ほどありましたので、ちょっとずつ2,30万ずつ親に送ってもらっていました。そのときの私は、お金を持っていましたし、持ってる人が持ってない人の世話するのは当たり前だという考えを持っていましたので、この人が持っていなくって、私が持っているのだからとお金を渡していました。私が欲しいJazzのノウハウを教えてもらう授業料に比べたら、1ドルや2ドルぐらい安いもんだしと思って、渡していたんですね。それが毎回になり、どんどんこうじていき、その人と私の関係が、そういうことが当たり前という関係になっていきました。

そうしているうちにその人と付き合うようになりました。私は、失恋でニューヨークに行ったにも関わらず、また懲りずに、そういう人に引っかかって、恋愛をし始めるわけですが、アルコール依存症の人と付き合って、持っているお金がどんどんなくなっていきました。
相手が飲んでたら、自分も一緒に飲まへんかったら、やってられなくなるんです。相手が酔っていて、自分も一緒に酔っていないと、精神的にしんどくてやってられないんですよ。お酒が好きだったわけじゃないんですが、一緒になって飲むことで、ちょっとでも飲む量を減らして欲しかったんですね。持ってはる瓶のお酒の半分を私が飲んだら、その分相手が飲む量が減るん違うかと、そんなことを考えて飲んでました。

最終的にその人と一緒に暮らすんですけれど、最後にはほんまにもうすってんてんになりました。「あ、もうない」という感じで、持ち金がゼロになってしまったんです。

それでベビーシッターのアルバイトとかするんですけれど、家賃を払うぐらいしか稼げませんでした。
それなのに相手は何にも仕事しはれへんので、
「何であなたは仕事をしないんだ」、「収入  が 何にもないじゃないか」と、
どんどん関係が悪くなりました。そんな中で、ある時、暴力を振るわれました。
            
            (続きは明日<アラノン・カウンセリング・DVからの脱出>